テクノロジーだけではなく感性を発信すべき

投稿日: Jan 31, 2013 3:33:23 PM

きぼう利用フォーラム 国際宇宙ステーション「きぼう」日本実験棟

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小学生のときの写生大会で“空”を表現しました。そのとき、書いた絵のなかに実際に目に見える空というのは、ほとんど白に近い薄い青だと感じました。感じたままに、そのように塗っていると、先生が見て「それは空の色じゃない、空は青く塗れ」と言ったのです。本当の空の色じゃないのに……。また、子供の頃、信号の色がどう見ても緑にしか見えませんでした。しかし、大人たちは青信号と呼んでいるのです。最近では、LEDを使うことで青に近くなりましたけど。「緑に見えるのに、なぜ青信号というのか」、子供心にその理由が知りたかったのです。「なぜ、大人は、明らかに間違っているモノを良しとするのだろう」と、思いました。「その頃から人の価値観というものに興味を持ちました。それと同時に情報に対する興味もありまして、小学校の高学年の頃から当時のパソコンを使うようになったのです。理系でずっと育ってきて、コンピュータリテラシーは積み重ねていました。そして、大学に入った頃にインターネットが出てきて、物事を自分ですぐに調べられるようになってきたのです。また、大学生のとき、ワーキングホリデーでオーストラリアに行きまして、その時に見た空の色は、本当にスカイブルーでした。そのときに、空が青いということは分かりました。分かったのですが、大人たちが既成概念で見ているモノと本当の答えは違うと感じました。結局のところ、自分で答えを探す能力を身に付けないとダメだということを20歳ぐらいの時に悟ったのです。そのときの気持ちを忘れないように、いま自分のメールアドレスに“sora”とつけています。大学では、コンピュータテクノロジーの他にバイオロジーも専攻しました。コンピュータテクノロジーの対局にあるアナログとか自然の見方を心得ておかなければ、結局は常識とか既成概念などに迷わされてしまうと思ったのです。インターネットは、正しい答えを見つけ出す手段といえます。しかし、本当にそれが正しいかは、価値観によって変わってくるので自分で判断しないといけません。いま自分がやろうとしているのは、自分で判断できるような教育です。いままでの教育は、先生とか偉い人に「これこれこうですよ」というように教えられてきていました。ところがいまのテクノロジーを使えば、自分で答えを探しだすことができるのです。調べるツールを使うスキルを教えたいと思っています。いま日本で見えているものが必ずしも正解ではないですよ、と。例えば、ハワイ島のマウナケアに行けば素晴らしい満天の星空が見えるのに、東京では同じように見えないのか? なぜひとつの場所では見えるのに、一方の場所では同じように見えなくなってしまったのか?僕は、そういうことに気づいて欲しいのです。その違いを理解していくことが、人種とか文化とか、他者を理解することに繋がっていくと思っています。

インターネットの世界では、情報を追い求めてくことがどんどんできるようになってきています。正しい使い方をすれば、自分の価値観にあった正しい情報を見つけることができるのです。もうひとつは、自分と同じように思っている人が見つけやすくなりました。重要な点のひとつは、Googleの力で世界中に散らばっている情報をキーワードひとつで、自分で答えを求めることができるようになったことです。ふたつ目は、「自分だけがそう思っているんじゃないか?本当にあっているんだろうか?」と不安に思うことがあると思いますが、それを別の人に確かめる手段ができたのが、ソーシャルネットワークであり、ソーシャルプラグなのです。デジタルネイティブと言われる、生まれた時からインターネットがあって自分で答えを探せる世代というのは、たぶん、もう我々とは物事に対する考え方とかコミュニケーションの仕方とか、国とか文化とか人種とか歴史観とか、様々な社会問題とか、世界の問題に対する考え方とかが変わってくると思っています。

日食や月食など宇宙のイベントは、世界の人たちを同じ関心事で繋ぐ、数少ないチャンスになります。2011年12月に、皆既月食がありました。日本という国の中で、宇宙のイベントを共有できた瞬間です。皆既月食に興味を持ち自分と同じように感動してくれる子供たちもたくさんいたでしょう。そういう人たちが、例えばJAXAのFacebookで繋がっていくことが想像できます。それがきっかけで、自分と同じように感じてくれる子供がいろんな地方にいることが分かれば、「その人に会いたいとかそこに行きたいとか」という動機が生まれます。親にせがむ旅行もディズニーランドとか海外ではなくて、「この間、月食をきっかけにネットで仲良くなったあの子に会いに行きたい」とかになったりして。そうすると、親は何が起きていたのかわからないですよね。ディズニーランドよりも「あの一瞬、気持ちを共有できた人に会いたい」というようなことも起きてきたりします。そいったことが、その子にとっての価値観の変化なのです。そこではじめて親は、「なぜ自分の子供がそのように考えるようになったのか」に気づきます。社会の価値観や感じ方、あるいは情報の接し方、答えの見つけ方、人との出会い方など、全部、少しずつ少しずつ変わっていっているのです。

昔の人は、どんな風に月食を感じたのだろう、と思ったりします。テクノロジーのない時代を想像するのです。いまは、月食という一大イベントを日本中で共有できます。少し前までは、家族や近所の人以外、誰とも共有できませんでした。江戸時代や平安時代の人は、月食にどんな感情を抱いていたのでしょうか。宇宙の原理を知らず、共有する人もいなければ、とても恐ろしいことと感じてしまいそうですよね。いまは、月が地球の陰に入るということが分かっていますから恐怖感はありません。昔は、すべてが神秘な故に月食にまつわる伝説や物語が生まれたわけです。例えば、そういうことを伝えるいいタイミングなのです。なぜ、歴史とか文明とかルールがきまったのか。それに付随する古い情報も一緒に出してあげると、人々はとても想像力を掻き立てられて物語を作るわけです。そこで、大人の威厳も保てます。なぜ、昔の人は、月に兎がいて餅をついていると思ったのかとか、かぐや姫の話しとか、子供の頃に、そういう情報に接していれば接しているほど、ある日突然、“なぜ?”という気持ちが蘇ってくるように感じます。例えば、月の綺麗な日にイベントとして、“なぜ、昔の人は月に兎がいると思ったのだろう?”とか“月のどこが兎に見えますか?”とか、誰かJAXAのスタッフがネットワークのなかで呟いてくれたら、いろんな人が盛り上げてくれると思います。

大切なのは、言葉ではなくて感性で伝えて感性で繋がることです。インターネットの世界で生きている子供たちは、言葉ではなく感性で繋がることができるのです。単純にいうと“いいね!”ということだけで繋がります。外国とか外国人という概念さえないのです。“いいね!”ということで繋がりさせすれば、どこの国の人だろうが、男性だろうが女性だろうが、何歳だろうが、そんなことはまったく関係ありません。流れている情報が、純粋にいいと思えばただ“いいね!”をするだけなのです。テクノロジーは明らかに進化しました。いままでは、絶対無理だろうと思われていたことをほんの少し良くしてくれたのです。これまでの20世紀な考えでは、自分が影響力のある人に会いたいと思うと、自分が同じよう影響力のある人間になるか、凄いお金を使うか考えつきませんでした。しかしいまは、想いさえあれば、だれでも実現する可能性があるのです。例えば、レディー・ガガのファンの10歳の少女がYouTubeに、レディー・ガガの曲を弾き語りした映像を親がアップしたところ、それを観たレディー・ガガがTwitterで呟き、やがてライブで本人とデュエットするに至りました。真実はわかりませんが、レディー・ガガはこの少女の歌によって、自分がなぜ音楽を志したかということを思い出したということです。つまり、テクノロジーによって、ノスタルジーを呼び覚ましてTwitterやFacebookに呟きました。レディー・ガガの5000万人ぐらいのフォロアーがいるので、あっという間に広がったわけです。TwitterとFacebookが登場する以前の時代だったら、例えばジョン・レノンがいくら言ったとしてもマスメディアが取り上げない限り、広がることはありません。いまは、影響力のある人が呟いた情報は、一瞬にして全世界に届くようになったのです。

すべての人の繋がりは、オンラインにあるからある日突然亡くなってしまっても自分のデータが無くなるということは無いのです。繋がった人は必ず見つけられるのです。自分が能動的に切らない限り、失うということはありません。それはテクノロジーを体験していない人たちは、紙に書いていた電話帳を失った途端に、繋がりも失ってしまって安否情報も確認できなかったりするのです。例えば、東日本大震災の時、郵便局の人たちは膨大なコストをかけて被災地の避難所にいた人たちのデータベースを作って仕分けしたりしていました。一方、Facebook世代の子供たちが大人になったころには、仮にそんな災害があってもそういう膨大なコストがかからない連絡手段を持っているわけです。もし、そこに使われていたお金がFacebookに使われたとしたらいったいどうなるか? という想像ができるかどうかが重要になります。そういう問題が起きているということに日本の政府は、まったく無関心なのです。それがどれくらいの影響力を持っているかということを知りません。新しい社会ができたのです。社会ということは、その上にできあがっている経済活動とかライフスタイルとか教育とか、あらゆるモノが影響を受けます。

例えば、東日本大震災で被災地に電気が来なくて困っていました。しかし、電気が無いのなら電気がないことを嘆くのではなくて、電気が無くなってことによって美しい星空が見えることを感謝して、むしろラッキーなのだというマインドにもっていったらどうでしょう。そういうのをJAXAが被災地の空を記録するとか、“星空を見ようキャンペーン”とかをやると都会にいる人々がボランティアというモチベーションではなくて、“星空を見に行こう”という目的を持って行けます。すべてには裏と表があるので、何か悪いことが起きたら良いこともある、良いことが起きれば悪いこともある、ということです。そういうことを子供たちに教えてあげないといけません。JAXAさんは、テクノロジーだでなく感性の部分も発信して欲しいと思います。

それはいろんな人からアイデアを募ることがいいと思います。それこそ感性の話しなので、それがどんなことなのかわからないのです。ただ、職員の方たちも毎日訓練することはできます。チャンスは度々訪れるので、常に何かアクションを起こすことが大切です。日テレで『天空の城ラピュタ』の中で「バルス(ラピュタ崩壊の呪文)」というセリフに合わせて、2chに「バルス」という大量の書き込みが行われてシステムがバンと落ちるのです。それが世界を駆け巡り、そのことがTwitterで史上最高のツイート数になっています。例えば、ISSが真上に来た時に「バルス」とムーブメントを作るとかはどうでしょう。ISSとラピュタは、同じく天空に浮いているので通ずるものがありますしね。今度、『天空の城ラピュタ』が放送されるときに、タイアップしてみたらどうでしょう。その時だけ、日本実験棟をラピュタと名付けてしまったりして……。日本には、宇宙にまつわる童話とか伝説とかあるので、いろいろなことができると思いますよ。

それは、若い人ではなくて、まさに皆さんの出番なのですよ。年を重ねていろんなことを経験した人が、子供の頃に何を感じていたかということを伝えることが重要なポイントになります。それを忘れないように、いまのテクノロイジーを使って、次の世代にうまく伝えていくという発想です。どんなにテクノロジーが進化しても本質的なことは変わりません。月に兎を見て、子供たちに宇宙の神秘性を伝えればいいのです。それが偉大な科学者を生むきっかけにも繋がっているのですから。“なぜ宇宙がすばらしいのか?”、“なぜ宇宙が大切なのか?”、“なぜ宇宙ステーションが必要になったのか?”、重要なのは、“なぜ?”という想いを持ち続けることなのです。自分で解決する必要はありません。答えは、もう委ねられるのです。